汲み起きした井戸水でトイレを流そうと思ったら、なぜかタンクに水が。
もしやと思い、フラッシュしてみたら…。
出てる、出てるじゃないか! 水道復活! うおおおおおおーーーーーー!!!!
「水道が出ないよ1ヶ月記念日」をどう祝おうか考えていた矢先での、キセキ。
思わず服を脱ぎ捨て、シャワーをひねって両手でゴシゴシ洗いました。
ついにで浄水器も洗うことができました。至福のひととき…
今は本当に水も電気も不安定だから、必然的に「エコな生活」をしているけど、
果たしてそんな自分が2年後、日本でも「エコな生活」をしているだろうか。
少なくとも「電気も水も十分にないので、エコしてます」というのは、日本ではないでしょう。
今の生活で感じている、なんとも言えない不憫な思いもいつかは薄れていくだろうから、
「電気も水も十分にない生活をしている人たちを知っているので、エコしてます」と
ずっと言える自信も、正直言って、あまりないです。
でも、「自分くらいはエコしなくたって、この大きな地球には影響を及ぼさないだろう」
というのだけは、これからも言いたくない言葉だなと思います。
この「自分くらいは…」というのは、非常に危険な言葉です。
「自分がやらなくても、誰かががんばってくれるだろう」とか、
「自分がやってもやらなくても、他の人は気にも留めないだろう」なんて思うと、
いろんなことがうまくいかなくなります。
サッカー日本代表の岡田前監督は、よく「村の祭り」というたとえ話を選手にするそうです。
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収穫を祈念して、夏祭りをする村があった。
祭りでは、お酒が入った大きなたるを、みんなでパーンと割って始める風習があった。
ところがある年、不作でお酒が買えなくて、
みんな集まって「どうしよう、これじゃお祭りできないな」と悩んでいた。
するとある人がこんな提案をした。
「みんながちょっとずつお酒を持ってきて、たるに入れたらどうだ?」
「それはいいアイデアだ」ということで、みんなが持ち寄ってたるがいっぱいになった。
「これで夏祭りを迎えられる、よかったよかった」ということで
当日みんなでパーンと割って「乾杯!」と飲んだら、ただの水だった。
みんな、「オレ1人ぐらい水を入れても分かんないだろう」と思っていたのだ。
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かつての勤務校には「合唱コンクール」というのがありました。
クラス対抗で合唱をするとなると、そのクラスの様子が如実に表れます。
「自分は一生懸命歌わなくても大丈夫だろう」とか
「音楽の得意な人がなんとかしてくれるだろう」なんて思う生徒がたくさんいると
ちっともうまくいかないものです。
逆に、「自分がサボったら、このクラスに迷惑をかける」とか、
「自分のクラスなんだから、自分が少しでも力になれたら」なんて思う生徒がたくさんいると
本当に感動的な歌声を響かせ、自分たちもさらにクラスが好きになるきっかけになるものです。
今思えば、先生してる時ってこの「自分くらいは…」という気持ちを
いかにして「自分がなんとかしなきゃ」にならないかということに腐心していたように思います。
将来たとえば務めた会社が傾きかけたとして、
このままじゃつぶれちゃうからみんなで外回って販促かけて立て直すぞ!って時、
わが社のふんばり時ですよね、でも私庶務だし、私は別にやらなくても大丈夫でしょ?
なんて、冷やかな気持ちの人にはなってほしくないですものね。
みんなで歌う時も、チームで仕事をする時も、
それに大きすぎてなかなか目には見えない環境問題を考える時だって、
常に「自分がやらなきゃ」という気持ちで考えられたらいいなと思います。
というわけで、「水がないから、エコをする」というより、
「自分が水を使いすぎるとみんなが困ったことになるから、エコをする」でいきたいものです。
水が出ただけで朝からこんなに脳みそを刺激されるとは…。相当大きなイベントでした。
って、あれ、また水が出ないんですけど…。 残念!!
2 件のコメント:
山本先生
久しぶりー
合唱コン優勝めざし中!
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