2012年1月25日水曜日

ケープコーストの光と影



「ガーナの歩き方」第7回はケープコースト城です。

ケープコースト城は17世紀に木材や金の貿易の拠点として建てられました。

ヨーロッパ人がヨーロッパの外に作った最古の建造物のひとつでもありますが、

後に奴隷貿易の拠点として利用されたことで有名です。



各地方から奴隷として連行された者たちはこのような拠点に集められ、

南北アメリカ大陸などに送り出されていった訳です。


奴隷を監禁するために使われていた地下牢などを見学しながら、

ガイドさんが当時の様子を説明してくれます。



こういう牢屋におびただしい数の奴隷を詰めこんで管理していたようです。

「このあたりまで排泄物が溜まるほど環境は劣悪で…」と説明するガイドさん。


この牢屋はまだ天窓があるだけよい方のようで、

反抗的な態度の奴隷は本当に何も窓のない牢屋で死を待つのみだったようです。



ケープコースト城にはオバマ大統領も2009年に家族と訪れており、

その時の献花が今でも残されていました。


アフリカ移民の子孫ということで、

「(アメリカはキライだけど)オバマは好き」みたいなところがあるようで、

ガーナの中で人気があるんだなと個人的に感じています。



「帰らずの扉」(ドア・オブ・ノー・リターン)と呼ばれるドア。

ここをくぐったら最後、いよいよ奴隷として送り出されていったようです。



扉を開けると、海がそこに。

海を見るのは好きですが、こういう文脈で見る海はとても切ないです。


「黒人のルーツはここにある」という意味で、現在では「帰らずの扉」の裏に

「ドア・オブ・リターン」と書いてあります。



城内にある展示場も、キレイなディスプレイが並んで秀逸でした。

ただ、きっとこれはヨーロッパ人が作った展示場ではないかと思いました。


それは「奴隷貿易にもよい点があった」という記述が堂々とされていたから。

「奴隷貿易で町は栄え、学校を建設するなど教育面でも…」みたいな文章には目を疑いました。

ガーナ人が自分たちの祖先に誇りをもっていたら、こんなことは書かないはずです。


物事にはいろいろな側面があるから、角度を変えながら見なくちゃとは思ってますが、

人が人として扱われなかったことに、「よかった」ということはあってはいけません。

日本人にとっては「原爆投下にもよい点があった」という投げかけと同じです。


奴隷貿易って、きっと売る人も買う人もまじめに実施していたんだろうと想像します。

真顔で自分たちのイデオロギーを貫いて、こそこそなんかしていなかったと思います。


正しいとか間違っているとかは、もうすでに超えていて、

こういう状態を「心が荒れている」と呼ぶと思います。


笑えないもん、やっぱり荒れているよ。

荒れたまんまの心で展示場を作ったら、違う誰かがまた荒れるよ。



さて、時代は流れ、ケープコーストはいまやガーナ随一の観光地であります。

たとえばケープコースト城のすぐ横には美味しいレストランがあって、

新鮮な海の恵みを堪能することができます。



さらに少しずれて、アノマボ・ホテルなんて所に行けば、

ビーチでのんびり海を見ながらお酒も飲めるし、



豪華なコテージにレストランもあって、ブルジョアな気分になれます。



しかしこうして何世紀も前の爪痕を前にして、

人間はこんなにも残酷になることがあるということは忘れてはいけないし、

繰り返さないように、時々真剣に思い出さなくてはと感じます。


世界遺産にも登録されているケープコースト城。

ガーナに訪れることがあれば、一度はどうでしょうか。


0 件のコメント: