2012年4月2日月曜日

ガーナもうええがな



梅の香に包まれる弥生の月、大盛り味噌汁生卵に涙する日々です。

2年離れると日本の生活ぶりも忘れてしまったかなと思ったのですが、

やっぱり自分は日本人、あっという間に戻りました。



ガーナを離れる時には、本当にたくさんの人たちに「またね」と言ってもらいました。

ガーナ人がそうしてくれたように、自分もなるべく明るい「またね」が

できるように練習してきたつもりでした。


一人ぽつりと飛行機を待っていたオランダ行きの3番ゲート。

もう戻らないと分かった途端、センチメンタルな気持ちにも若干なりましたが、

この2年は自分にはもったいないほどいい時間だったと素直に思い返せたし

日本で気にしてくれていた人たちに早く会いたいという気持ちも大きかったので、

アクラの夜景にも明るく「またね」と言えました。


地元に戻っても、ふとした瞬間にガーナのそれと心の中で比べてしまう自分がいるので、

まだまだふわふわしている部分もあるんじゃないかと思います。

この2年の経験を早く消化して自分の筋肉にしたいと願っているので、

あえてガーナもうええがなと言ってみます。


ガーナに行ってたからできなかったことは手を伸ばして追いつきたいですが、

あまり背伸びはせず、自分らしく今日からまたがんばりたいと思います。


アカチの人たち、いつかまた会えるようにお互い元気に生きましょう。

日本にいる方々、少しずつ会いに行きたいので待っててください。

まだガーナでがんばっている日本人のみんな、味噌カツと待ってるからいつでも来てね。


そして、このブログを読んでくれていたあなた。

読んでくれているという事実が大きな支えになりました。

このブログ、自分にとっても考えるきっかけをくれたり、

頭の整理をしてくれたりと、思わぬ効用をもたらしてくれました。

ブログを通していっしょにガーナを楽しんでいただいたのなら、この上ない喜びです。


今回でこのブログはおしまいとします。

ご愛読ありがとうございました。

皆さん体には気をつけてください、自分も気をつけます。


2012年3月19日月曜日

虹の足から虹の足へ



忘れ物をしたりトイレに行きたくなったりしていなければ、

今頃ガーナを出国できているはずです。


ここしばらくは、アカチのガーナ人とも、ガーナでお世話になった日本人とも、

ひとまず中締めのあいさつをしました。


アカチでは、お別れパーティだということで何度かお呼ばれしました。

しかし、日本でもそうかもしれませんが、

別れを集まるきっかけにして、ただ飲みたいだけじゃなかったかと(笑)



あくまでも私の周りの場合ですが、ガーナの人たちは別れの時に感傷を見せません。

およそ2年暮らした家族なんて、スーツケースを持って

「じゃ、ほんとにお世話になりました」という私に

「オッケー、明日な!」って(笑)

明日帰ってきたらそれはだいぶ問題だからと思いつつ、なんだかいいなと思います。



現地語の「さようなら」を英語に直訳すると We shall meet となるようです。

生きていればまたどこかで会うと思います。

こんな風に送り出してもらえるので、別れが寂しくて仕方がないというよりは

戻ってきてもいい場所ができたことに胸を張りたい気分です。



いっしょにがんばった隊員仲間や、ガーナで知り合った日本人の方々にも、

いろんな形でよくしてもらいました。

みんな、日本にいたら会えなかったかもしれない骨太で優しい日本人ばかりです。



敬愛するタイのさっちんブログに、こんな詩が紹介されていました。


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「虹の足」   
         吉野弘


   雨があがって
   
   雲間から
   
   乾麺みたいに真直な
   
   陽射しがたくさん地上に刺さり
   
   行手に榛名山(はるなさん)が見えたころ
   
   山路を登るバスの中で見たのだ、虹の足を。
   
   眼下にひろがる 田圃の上に
   
   虹がそっと足を下ろしたのを!
   
   野面にすらりと足を置いて
   
   虹のアーチが軽やかに
   
   すっくと空に立ったのを!


   
   その虹の足の底に
   
   小さな村といくつかの家が
   
   すっぽり抱かれて染められていたのだ。
   
   それなのに
   
   家から飛び出して虹の足にさわろうとする人影は見えない。
   
   ――おーい、君の家が虹の中にあるぞォ
   
   乗客たちは頬を火照らせ
   
   野面に立った虹の足に見とれた。
  
   
   多分、あれはバスの中の僕らには見えて
   
   村の人々には見えないのだ。


   
   そんなこともあるのだろう
   
   他人には見えて
   
   自分には見えない幸福の中で
   
   格別驚きもせず
   
   幸福に生きていることが――。

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ガーナという国も結局は人の集まりですから、

ほっこりする顔もあれば、どうしようもない一面もあります。

しかし、その瞬間には気づくことができなかったことが多かったものの、

トータルで見れば虹の中にいるようなステキな時間を過ごしたのだと思います。


そして、ガーナから見て初めて気づいた日本の虹の色もありました。

二つの虹の足を行き来した自分はぜいたく者です。

虹の足にいながら虹の美しさに気づくのは簡単ではないけれど、

この2年でもらったもうひとつの視点は大事にしたいところです。

2012年3月15日木曜日

ガ英研(18)



ガ英研の皆さん、こんにちは。

今日がひとまず最終のミーティングです。


英語が公用語のガーナ。

そのガーナで見られる特有の「ガーナ英語」について情報を共有してきました。

いかがでしたか。


正直、自分はこのガーナ英語に当初とまどいを隠せませんでした。

いや、今もまだとまどっているところがあるかも。

何度聞き返しても、言い方を変えずに押し通してきてますます分からなかったり、

「へー、そんな表現をするんだ」と日々発見があったり。


私の英語が彼らにとってハテナでも、分かるまで粘ってくれる人が多かったのは救いでした。

「いやー、オレ英語が苦手なんだ」と言ってしまえば、とことん教えてくれたりもしました。

「mightの後は過去形が来る」「be able to ではなく can able to だ」と教えられて反論したって、

少なくとも私に英語を教えてくれたガーナ人にとっての正解はそうらしいのです。

私たちが日本で学ぶような英語を彼らはなかなか使いませんが、

彼らは自分たちの英語に自信をもっています。


ボルタ州の現地語 Ewe は、kp や gb など、いわゆる二重子音があり、独特の発音をします。

「おやすみ」は「神がまた朝起こしてくれますように」ともいうように、

現地語からの直訳も少なくないです。


ついに Ewe には詳しくなれませんでしたが、

きっと彼らの英語は現地語から影響を受けているだろうし、

そう思えば、たとえ自分にとって不自然でも「個性」として受け止められ、気が楽になります。


そう、英語はもはや英米豪あたりだけのものではないということです。

お国なまりを物ともせず、堂々と自分たちなりの英語を使っている国があるということです。


学習指導要領にあるような「強勢、イントネーション、区切りなど基本的な英語の音声の特徴」は

もちろん無視してはいけません。

これが分かっていれば解決することもたくさんあると感じます。

その時モデルにすべきはやっぱり英米豪あたりの英語だとも考えます。


でも、それがうまくできないからと言って、臆することはないんじゃないか。

そういう自分も、以前は日本人っぽいクセが

英語に出てしまうのはなんだかなあと思っていましたが、

誰かとやり取りする時はそんなことを気にせず、

堂々としてればいいじゃないかと今は思えます。


胸を張って自分の意見を伝えたり、分かるまで妥協せずに聞き返したりする、勢いのある姿勢。

これはガーナでとても勉強になったことです。

「ここで引いたら負ける」と思って、絵を描いてまで粘り倒したこともいい経験になると思います。


ガ英研で学んだことを、私たち日本人の「空気を読む」「慮る」など

きっと長所である部分とうまく合わせられたらいいな。


こんな本があることも紹介しておきます。

いろいろな「お国なまりイングリッシュ」に出会える、おもしろい内容です。

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日本に帰ったら、生徒にコンプレックスを感じさせず、前のめりに英語を使わせたいなあ。

でも、それには「英語使いたい!」って思わせないとなあ。

それをどうやって仕掛けるかが勝負だろうなあ。


ガーナ英語や、他の国特有の英語、日本での英語の授業のこと、

またいろいろと教えてください。

2012年3月14日水曜日

愛しき憎きガーニアンタイム



首都に引き上げるということで、お世話になった人にあいさつしに行ったり、

うちのママさんが毎晩ご飯を作ってくれたり、平和な日々でした。


しかし、最後だからすべてが許せてガーナ最高だぜ!って訳にはいかないようです。

たとえば、後任の方のために家具を引き取りに来ると言って、来なかったり。

副大統領が来たとか運転手がどこかへ行ったとか、俺は悪くないと逆切れされたり。


たとえば、「おい!今からお前のお別れパーティやるから!来い!」と言われて、

「いやいや、もう今ママさんとご飯食べてるから」と伝えると、

「なんでだ!この前のヤギも絞めたから!みんな揃ってるぞ!」と答えが返ってきて、

だったらもっと早く教えてよと思ったり。


このような生活リズムを、彼らの言葉を借りて「ガーニアンタイム」と呼ぶことにします。

自分はこのガーニアンタイムに何度も助けられました。

雨の中バイクが悪路にはまったり、熱を出したりして学校に行けなかった時も、

「大丈夫、ネクスターイム(また今度)」で済まされました。


ゆっくり流れる時間の中で、日本での生活を振り返ると

なんであんなにせわしなかったかなあとも思いました。


しかし、このガーニアンタイムが手強いと感じたことも忘れられません。

正確ではない約束(たまにやけに正確だからなお厄介)。

目の前のことや自分の都合でとっさに変更されるスケジュール。


予定通りにいかない時間の中で、日本での生活を振り返ると

約束や時間を守る世界もやっぱりいいなと思いもしました。


4月からは(忘れられていなければ)職場に復帰します。

きっと忙しい振りをしてみると思うのですが、もしも心が折れかけた時(ないと思うけど)

ガーニアンタイムに助けられたことだけを思い出して、

日本での生活に不満をぶつくさ言ってしまったら、それはフェアじゃないなと思います。


日本とガーナ、どちらもいい所があるし、バランスの取れてない所もお互いあるのだろうから、

比べては嘆くのではなく、まずは与えられた場所で精一杯やるんじゃないのって思いたいです。


そろそろゴールが見えてきたこのガーナ生活、これからは上手に思い出したいものです。

感謝もしていますし、悔しかったことや腹が立ったこともいい形で覚えておきたいものです。


…ってね、早く冷蔵庫とか取りに来ておくんなまし。

(※あ、これ書いた翌日に来てくれました。朝7時前に。早起きなのもガーニアンタイムです)

2012年3月13日火曜日

活動の振り返りとヤギ



配属先である郡の教育事務所で活動の振り返りを報告してきました。

英語だし、まあせいぜい5分もしゃべればいいかなと思っていたのですが、

見に来てくれたあをたけさん曰く、「お前、40分もしゃべってたぞ」と。

話の長い人は嫌われます。



最後だということで、プレゼントもたくさんいただきました。

こちらは、チーフが着るようなゴージャスなスモック。高かっただろうな。

ピッコロさんの服のように、めちゃくちゃ重たいです。

自分が着るとビートルズの HELP! みたいでごめんなさい。



(参考資料)



首にはガーナの伝統的な織物、ケンテを。

最初に巡回した学区の校長先生たちが、お金を出し合って買ってくれたようです。


「あんなに金がない、教材を買ってくれ、そのバイクをくれとか言ってたのに…」

そんな思い出がよみがえります。


金がない(らしい)人たちから高価ないただききものをするなんて、

「いやいや、そんな、受け取れませぬ」と丁重にお断りしたくもなりますが、

そんなこと言ったら「もうお前とは口聞かね」って怒られそうなので、

ありがたくいただくことにします。


このガーナ生活、過分なるいただきものはたくさんしてもらいました。

「そんなことされるために来てるわけじゃないのに…」

「こんなによくしてもらって、逆に申し訳ないな…」

と思ったことが何度あったか。


でも、ちょっと見栄張ってでも喜んでほしいと思うこと、ありますよね。

自分だってそうだし、そのあたりはお互い変わらないねと思います。

素直にプレゼントされることも、ガーナに来て上手になったことかもしれません。



その他、女性スタッフからはアンダーシャツとトランクスを。

これ…なんでだろう。あまり深く考えないでおきます。



それにビールやワイン、そしてヤギ一頭!

ヤギが出てきた時は、この日一番の盛り上がり!

自分の魂のプレゼンがかすむほどの盛り上がり!



自分が日本に帰るからって、ごめんなヤギ君。

このヤギ君にドナドナを歌ったのが、私の最後の活動でした。

2012年3月12日月曜日

ガーナ人がカレーライスを食べた場合



最後だからと遊びに来てくれた人たちには、カレーを作ってみることにしました。

(えっ、食ってねえぞオレっていう人、許せ友よ。)


首都の中華食材店でバーモントカレーが売っています。

もったいないと思っていたら、いつの間にか大量に眠っていたのです。


日本のご飯に飢えた男が走り出したら止まりません。

カレーとは、いわばスープを食すものです。

というわけで、マーケットで鶏肉を大量に買ってきて、弱火で3時間ほど煮ます。

りんごなんかも放り込んでやると、香りのよい鶏がらスープが手に入ります。



カレーとは、もしくは玉ねぎを美味しく食べるための手段です。

ちょっとやりすぎかなと思える量の玉ねぎをこれまたゆっくり炒めて、



最終的にはこんな量に収まるくらいにしてやります。甘くてうまいのなんの。



そんなことしていたら、あっという間に日が暮れます。

あ、ちなみに廊下の隅にある私のキッチンは流しも照明もありません。

トマトにじゃがいも、オクラやにんじん(すべてアカチで手に入ります!)、

ほぐした鶏肉を入れ、火を止めてルーを溶かし、心の眼で見て調整していきます。


隠し味はケチャップ、コーヒー、そしてほんの少しの醤油。

何をしたっていいのです。そうです、私たちは自由なのです!



後は寝かしておいて、時間のスパイスをもって完成です。

リビングの照明が緑色で不気味な食事ですが、来てくれた人とわしわし食べます。



美味そうに食べてもらえると、カレーも喜びます。

インド発のようですが、もはやカレーライスは日本のソウルフードです。



さて、そんなカレーライスをガーナ人が食べたらどうなるか。

「おはぎ」に続いて試してみました。


① Comfortable を Coffee table とのギャグにウケて呼吸困難に陥ったうちのママさん

「これ、カレーライスっていいます。たくさんの香辛料を使って野菜と…」と説明すると

「ああ、カレーライスね、なつかしいわ」と意外なリアクションが!


よく聞くと、高校時代に通っていた調理コースの課題で作ったことがあるのだそう。

調理コースだったのね。だからか、うちのママさんの料理が美味いのは。



「うーん!スパイシーで野菜もたっぷり!美味しくてヘルシーじゃないの」

と的確すぎるコメント。



「みんなこっちへいらっしゃーい!今日の日本食は美味しいわよー!」

と、娘たちを呼んでくれました。

今日の…?この前のおはぎは…? まいっか。



② いきなり本日の最難関・食わず嫌いのミリセンツ(大)

この子さえ美味いと言わせれば、今日の勝負は決まります。

さあ、いけ! お前の未来は明るい!


…と言う前に、しれっと食べ始めていました。

そして、食べ続けました。


カレーの力、恐るべし!




③ すね毛研究家・お向かいのエスタ

何も言わず、ただただガシガシ食べてくれました。

そして、しばらくして私のすね毛を触り始めました。


カレーの力、恐るべし!




④ 最強のイエスガール・お向かいのミリセンツ(小)

この子は何やったって喜んでくれます。

カレーも美味しそうに食べてくれました。


「おいしい?」「うん」

「辛くない?」「うん」

「また食べたい?」「うん」

「オジさん、カッコいい?」「…」


神は正直者を救うでしょう。




⑤ ガーナ人にしては草食系・うちのヒュー

水汲みをする時は手伝ってくれ、いつも静かに笑っている。

そんなナイスガイにも振舞ってみました。

日本に興味があるという彼、カレーライスにも興味津々です。



ところがこの顔! 固まっちまった!

おーい、帰ってこーい!



「ちょっとこれ、辛すぎね?」ですって。

いやいやよっぽどガーナ食の方がいろいろ辛いよと言ってみましたが、

一口で静かに笑って去って行きました。なんか、ごめんね。


以上、総じて子どもたちには人気のようでした。

ごちそうさまが聞きたくて作ったカレーライス。

日本に帰ったら料理しないだろうなー。


2012年3月11日日曜日

活動もパソコンもおしまいのようです


ぶさたしております。

ともに暮らしてきた私の周辺機器は、そろそろ限界を迎えてきているようです。


特にパソコン!赴任前に新品で買った富士通のパソコン!

中の方がキュイーンっとうなり、仮面ライダーの変身ベルトのようです。

時にやさしく、時に厳しく接すると機嫌を直すので、合間を縫ってこれを書いています。


さて、なんだかんだ言ってもう3月。

2月をもって巡回授業もついに終了しました。

累計74校。もっとたくさん行けたかもしれないけど、悔いはありません。


最後だからということで、日本人仲間が手伝いに来てくれたこともありました。

来てくれた皆様、感謝です。余った食材も持ってってくれてありがとう。


自分の活動が終わるからと言っても、地球は明日も回っているし、

特別な感情もなくしれっと終わったなというのが、正直なところです。

というより、今日はあの片付け、明日はレポートを書いて、っておい、パソコン!起きろー!

みたいな綱渡りの生活をしていたので、余韻に浸る間がないということでしょうか。


大きなトラブルもなく、無事に活動を終えることができたことに感謝です。

残りの期間は、ガーナでお世話になった人たちに感謝を伝える時間にします。

日本で支えてくれた人たちには、帰ってから少しずつ会いに行きたいです。



そう、最後のワークショップも何事もなく終わっていきました。

こんな楽勝でいいのかなと不安にもなりますが、思えば最初は苦労したもの。

自分なんかでも、やっていればできるようになることはあるもの。

歩みは遅くても、積み重ねたことに対しては胸を張りたいと思います。



にしても、最後のワークショップの校長先生にはいろいろともてなされました。

ジュース飲めやケンケ食えやおかわりいけやで、夜飯は太田胃酸だけでいいやと思えるほど。


「いやー、お前もそろそろアカチを出るんだな。せっかく来てくれたのに、寂しくなるな。」

「え、なんで知ってるんすか?」

「だってほら、教育事務所の掲示板に張ってあったぞ。サヨナラジュンみたいな。」


まじっすかー!あーほんとだー!いつのまにー!



というわけで、教育事務所にて活動のまとめをおらおらと話しておしまいです。

いろいろ訴えて後任の方へつなげる機会だと思うので、気合入れていきます。

2012年2月20日月曜日

ガラパゴスでもいいんじゃない


何が有意義だったか編、その弍。

2日目は VSO や Peace Corps といった他国ボランティアを交えた授業交流会。

今回の VSO はフィリピン人、Peace Corps はアメリカ人でした。


同じテーマを企画者のゆう君が提示していたのに、

こうも違うかと思えるほどの、授業スタイルの違い。

そして、その後のディスカッション。


言いたいことの半分も英語で言えないぜベイベーという寂しさ、もどかしさ、

早口でまくし立てるな、俺は俺のペースでしゃべらせろチクショーという怒りにも似た悔しさ、

そんな気持ちも忘れられないのですが、

やはりディスカッションは反芻するに値するほど貴重な経験でした。



「いい授業」の「いい」に言及する時、けっこう都合よく practical と表現するのですが、

もっとも大きな差を感じたのは、この practical という言葉のとらえ方の違いです。


個人的には practical とは問いがどこかからの借り物ではなく自分のもので、

自分で確かめに行くための足がかりを見つけることがおよそ保障されていて、

それゆえ「実践的」だと考えます。(違うかもしれないけど)


他国ボランティアと話していて気づいたのは、

たとえば試験に、あるいは近い将来に必要なスキルとして役立つ、

比較的すぐに「こいつはためになる」と効用を実感することが可能な

すなわち「実用的」とも考えているということです。


たしかに、上述のような「実践的」を求めるのは、まどろっこしいかね。

「実用的」で目に見える効果、ほしいよね。

四の五の言わず、分かりやすく賢くしてやりたいよね。


あまりにも堂々と英語で自分の意見をパシっと言われるものだから、

もしも自分の力で立っていられなかったら、

「そうです、おっしゃる通りです、明日からいや今日から心を改めます」と

立つ前のクララ状態になってしまうかもしれません。

これが世界の時流なの? ここで頑なになったら、またガラパゴス扱い?



「グローバル化」とか「世界の中の日本」などは、

これからの私たちを語る上で欠かせないような言葉になっているように思います。


でも、その答えはどうやら漠然と「英語を流暢に扱える」

「その分野でリードする国を知って、それを取り入れる」

なんて具合になりがちのようです。


英語教師をしているとこれはしばしば問い直すべきことなのですが、

このことを考える上で勇気をくれたというか、示唆に富むエピソードがあります。

宮崎駿が日本外国特派員協会に登場し、講演を行った時のことです。(詳しくはこちら


曰く、「国際化というのはボーナスみたいなもので、

私たちにとっていつも考えなければならないのは、日本の社会であり、

日本にいる子どもたちであり、周りの子どもたちです。

それをもっと徹底することによって、世界に通用するぐらいな

ある種の普遍性にたどり着けたら素晴らしい」とのこと。

そして、そう言えるのは「日本の人口が1億を超えたから」だとか。


ガーナにいると中国製品の勢いのよさを目の当たりにしたり、

SAMSUNGのケータイやHYUNDAIの車が走ってて「韓国キテるなー」と思ったりする日々。


1億超のマーケットをもって日本が「もうさ、国内だけで別によくね?」としているのなら、

それって本当に大丈夫なペイラインなの?と思わされもしますので、

すべての分野にこの考え方が通用するのかは分かりません。


しかし、見落としがちな「人口が1億を超えた」日本のサイズを踏まえた上で、

日本で通用するようになることが世界にもつながると述べているのは、興味深いです。


「グローバル」や「国際」という言葉を使おうとするなら、

それぞれの国を十把一絡げに見てはいけないというのは、とても大事な視点です。


フィリピンの人が英語が上手なのは、うれしいばかりではない切ない事情もあるでしょう。

しかし、それを活かしてフィリピンを支える人材を育てられないか。


赤道直下であるがゆえに収穫できる作物も食事も日本とはまったく違うガーナに、

日本と同じような「国の担い手」の姿を適用するのは、無理があるでしょう。


それぞれの国のサイズや歴史背景、気候や食べ物までが違うことに留意するべきです。

それらを勘定に入れ忘れた時、早計な結論に終わってしまう気がするのです。


そう思えば、今回あらゆる国のボランティアや教師が主張しようとしたこと

そのすべてが適切だったと言えます。

それぞれの国の事情が違うゆえ、こんな人を育てたいという思いが違うし、

よって教育のアプローチも当然違うので。


そして、どちらかと言えば考える力を付けたくて、practical は「実践的」と訳す

日本人ボランティアも、他国の意見を参考にしつつ、そのまま行けよと思います。


もちろん地域によって差はあると思うのですが、

あらゆる都道府県からガーナに集まった日本人が何となく同じような問題点に気づき、

何となく似たような解決の手立てを講じようとしているあたり、

日本の学校が積み上げてきたものは大したことあるぞと言えそうです。


その積み上げてきたものが「考える力を」「実践的に」という言葉にまとめられるものならば、

宮崎駿の言うようにそれを日本でもっと徹底すれば、

きっと世界で通用する普遍になると思います。


なぜなら、知識の多さや計算能力の高さなどはあればあるだけに越したことはないのですが、

その部分においては人間にとってもうとっくに勝ち目のないコンピュータが

ガーナを含めて「世界中」と言ってもウソにはならないほどの勢いで普及しているからです。


コンピュータにはどうあがいても勝てない人間が、人間であるためには。

これは遅かれ早かれ、どの国の人も考えざるを得ない課題になると思うし、

そして日本が進もうとする道には、その答えが見えそうな気配がプンプンするのです。



というわけで、このミーティングを終えての自分の意見は

その国が育てたい人材には違いがあって当然なのだから、

聞く耳がありつつ、今までしてきたことに足をつけたまま進むガラパゴスでいこう、です。


「よその国はこうなのに、それに比べて日本ったら…」というような呪いにも似た定型文や

「だから日本の常識は世界の非常識なんだよ」みたいな妙に偏屈な決めゼリフが

自分の中にあるのなら、そんなものは捨ててしまいたい。

という願いをこめた、今回のまとめでした。


こうやって考える材料を与えてくれた授業者の皆さん、

知的な刺激を振りまいていただきました、ありがとうございました。


授業者のあをたけさんと泉さん(しんちゃんだよ、お孫さん!)の写真は前に載せたので、

もう一人の授業者、最近姿を見ないタケタケガーナの写真で締めくくりましょう。


全国6千万のファンの皆さま、ご安心ください。

彼はあんまりマスコミに露出しない、大黒摩季戦法を採用しているだけです。


では、ごきげんよう。



2012年2月18日土曜日

村の元気を私の元気に



何が有意義だったか編、その壱。

1日目の午後に訪れたサンチガ村の小学校での「マジカルサイエンスツアー」のことです。



上の写真のような科学のお兄さんお姉さんに引き連れられながら、

「表面張力の不思議」「水素爆発」「糸電話(ばね電話)」「空気砲」「曲がる魔球」の

5種類のブースを順々に巡り、できるだけ驚きや楽しさをもって学んでほしいと仕掛けました。



えー、ここで懺悔です。

「曲がる魔球」担当の私、蹴っても蹴っても全く曲げることができませんでした。


曲げるよと言って曲げられない、大人の情けなさを知った子どもたち。

ボール拾いにパシってしまった心優しき調整員の方。

乾季の中で生命を脅かすほど走らせてしまった挙句、ズボンまで破いてしまった同期やすぽん。

そして、何気なく蹴って中村俊輔ばりにものすごい曲げてくれたガーナ人JICAスタッフ。


本当にありがとうございました、そしてごめんなさい。

日本人の方、この埋め合わせは首都でお寿司でよろしいのでしょうか。



各ブースでは子どもたちに体験させ、クリアしたら「おみやげ」を渡しました。

その「おみやげ」たちを集めて組み立てると、ペットボトルロケットができるという仕掛けです。


これら一連の仕掛けは、ミーティングでやいやいしゃべっているうちに決まったものです。

いやはや、愉快で頭の柔らかい仲間に恵まれたものです。



さて、この学校がサンチガ村に立ち上がって、まだおよそ1年弱。

かつての隊員が設立に関わり、尽力したと聞いています。


きっとその先輩隊員は、学校ができる過程だけではなく、

できあがってからどのように成長していくかという見届けられない未来の姿まで、

きっとやきもきしながら描いていたのではと想像します。


尽力の甲斐があってか、そして先生や地域の人にも恵まれたか、

この学校は学校としてたしかに前に進んでいる印象を受けました。


きっと普段から協力的で献身的な人柄だとにじみ出まくってる校長先生。

実験たちに「こりゃ一体、どうなってるんだ?」という目をしながら喜ぶ子どもたち。

それをどれどれと見守りに(いや、自分も興味があるのか)やって来る地域の大人たち。

生活は楽ではないはずなのに、帰り際にはヤム芋と生きたニワトリを私たちにくれる美しさ。

ほんと、心が洗われるような思いをしました。



サンチガ村での経験は、心が洗われるだけではもったいない、得がたいものです。

そういえば、今回のように立ち上がったばかりのよちよちの何かに出会えたり、

今からいっしょに作っていこうという過程に参加できたり、

拡大する中でやり切る達成感やうまくいかない苛立ちで一喜一憂できたりと、

この2年はそんなことが希望する以上に多くあった気がします。



私事ですが、大学を卒業してから教職に就いたところ、正直ビックリしました。

想像以上に多岐に渡るタスクの多さ、

それらを部活動が終わってから追いかけるように終わらせる日々。


乗りたい特急列車はすでにものすごいスピードで駅を通過していて、

とにかく置いていかれないように、多少のケガを覚悟で飛びついてしがみつく感じでした。

「この列車には乗らない」といって他の列車を待つことを許されなかったり、

飛びつき方がまずくてケガをしたりした場合、そりゃ大変なことになりそうです。


「べらぼうに速い乗り物ができたら便利だよね。」

「お、列車か、いいね。やってみようぜ。」

「もっと速く走らせられないものかね。線路も長くできないものか。」

「ようよう、なんか景気のよいことしてるねえ、うちの町にも駅を構えようか。」


そんな始まりの物語を知っていたり、想像できたりしたならば、

非情なスピードで走る特急列車にも怒らず慌てず、もう少しうまく飛びつけた気がします。



自国の力強い成長は知らず、振り返ればバブル崩壊に雇用縮小、

先を見据えれば年金破綻の話題。


そんな世代だとも私たちアラサーは言われているようです。

たしかに、懐古するにも ALWAYS 三丁目の夕日 を観ることくらいしかできません。


しかし、「そんな時代も日本の昔にはあったのかもしれない」と想像して重ねて見るための

素材とあちこちで出会う場に身を置いた私たちは、恵まれていると言えます。

新卒の人なんかいたら、「今いい景色を見てるよ、オレたち」とエラそうに言いたいくらいです。


学校ができるまでの、人々の苦労。

実現した後の、先生たちの奮闘。

集まる場ができただけで、そりゃもううれしそうな子どもの姿。


そんなシーンを日本にうまく持ち帰ることができたなら、

振り落とされやしないだろうかと不安になりながら列車に飛び乗るというよりは、

顔も知らないたくさんの先人たちががんばって積み重ねた上に立っていると考えられそうです。


「いいなあ、ガーナはのんびりしてて」とため息をつくのは健康的でも建設的でもありません。

「昔はきっと日本もそうだったんだよ」と思いながら未来予想図を描き足すことを選びたいです。



少し前に「日本の先生が病んでいる」的なニュースを見たり、

離職率の高さを示したデータを見たりしたので、こんな振り返りになってしまいましたが。

いや、病んでしまった先生もサンチガ村のような場所に触れると、きっと癒されるかと。


とにかく、心が洗われるようなサンチガ村での昼下がり。

帰りたくなるような郷愁というよりは、明日への栄養剤として上手に思い出したいものです。

2012年2月16日木曜日

アッパーウェストで理数科アッパーカット



そもそも今回少しばかり任地を離れていたのは、

ガーナ北部、アッパーウェスト州での理数科ワークショップに参加するためでした。



ガーナの南側に住んでいる自分としてはモスクの形とか現地語とか、

ずいぶんと雰囲気が違うもんだと新鮮でしたが、一番の違いはやっぱり気候!


湿度はひと桁台らしいという乾燥っぷり、奇しくもハマターンと呼ばれる砂埃の再来など、

それはそれはなかなかのものでした。


車に乗って移動すれば髪の毛はバサバサの栗毛色に。

洗い流そうと頭から水をガバっとかぶっても、何事もなかったかのようにすぐ乾燥。

タオルも5分ほど前に濡らしたはずなのに、いつの間にかまたパリパリ状態。


汗をかいてもよいはずの暑さなのに、乾きすぎてて汗すら出ないし、

寝ていれば喉の乾きで目を覚まし、潤いをなくしたお肌じゃ上手に笑えず、

鼻の老廃物はこれまでにない硬さで粘膜を傷つけようとし、

それに必死に抵抗しようとする私のびもうはかつてないほどのスピードで伸び…


いやはや、完全に未体験ゾーンでした。

「乾季が厳しくなると、タクシーの窓を閉めた方が涼しい」

「夜はベッドに水を撒いてビチャビチャにしてから寝る」

という、北部隊員の伝説が少し理解できた気がします。



さて、2日間に渡るワークショップにはいろいろなメニューがあったのですが、

私が参加したコースをなぞってみたいと思います。


まずは、1日目。午前中は州都のワの小学校で授業交流会でした。

訪れた小学校の壁には、かつてこの郡に配属されていた隊員の教材が

今でも大事そうに掲示されていました。

みづほさん、キレイに作るよなあ。そりゃ大事にしたくなるよ。

時間を超えたつながりを見た気がして、なんだかうれしくなりました。



そんな学校で、算数の授業をみっちゃんや



てっちゃんにふくちゃん、



かっちゃんが披露しました。



それぞれ任地でがんばっているんだなと伝わってくるものばかり。

どこからカメラを向けても先生のいい表情が見える、

子どもたちが考え出す瞬間とかわき目を振らずに取り組む姿などが見えるなど、

いいなと思える授業は、写真を撮っていても改めて感じるもんです。



午後はサンチガ村に移動し、マジカルサイエンスツアーなるものを。

ここにはまだできたばかりの学校があるのですが、

設立にあたってかつての隊員が村の人たちとずいぶんと尽力したようなのです。


よーし、ならば先輩隊員が残した足跡を足がかりに、我々も応援しに行こうじゃないか、

英語がなかなか伝わらない子たちにも分かるように工夫してみよう、という訳なのです。



科学のお兄さんお姉さんたちとともにブースを渡り歩き、



そこで待ち受けるお兄さんお姉さんたちといっしょに実験を楽しんでもらい、



各ブースでもらったおみやげを最後に組み立てると、理科のおもちゃができるという流れでした。

今回のことが今後の授業に少しでも役に立ってくれるといいな。少しは楽しんでくれたかな。



2日目は企画者ゆう君の配属先、ワの高校が会場でした。

朝は大実験ショー。西部警察もビックリな粉塵爆発や、





迫力満点のドラム缶つぶしなどで、まずはごあいさつ。





理科の授業を日本人ボランティアが行うと同時に、





VSOPeace Corps といった他国のボランティアとも授業を行いました。





それぞれの日の最後には振り返りの時間を設けて、有意義な意見交換ができました。

この2日間がどんな風に有意義だったか、改めて振り返ってみることにします。続く。