手立てのアイディアを示したのは自分ですが、ガーナ人先生がそれらを工夫して
授業を実践していてくれたことは、本当にうれしかったです。
アイディアを凝らす時、先生たちは目の前の子どもたちの顔を浮かべたんじゃないかな。
「こんなことしたら、あの子たちきっと喜んで勉強するだろうな」
「ここを改良したら、もっとあの子たちが理解しやすいんじゃないか」
授業後の会話の中で先生たちのうれしそうな顔を見ていると、そんな気がしました。
かつての勤務校でキャンプの担当をした教員3年目を思い出しました。
「あの書類を提出しなきゃ、うわー明日の実行委員会の準備もしてなーい!」と
あたふたしまくっていたある日の深夜。その日も時計の針は午前様を示していました。
生徒を動かすアイディアを出さないといけないのにアイディアが出ないもどかしさで
やっつけ仕事的にキリをつけて早く家に帰ろうと思っていたその時、
もう一人の遅くまで残っていた先生がふとつぶやきました。
「ここでこうやって仕掛けたら、あの子が活きるだろうな」
「それを支えるのは、きっとあの子がピッタリだろうな」
そうやって生徒の表情を想像しながら仕事をすると、きっとうまくいくよ。
事務処理的に日々を片付けるのではなく、生徒のことを考えて仕事をする。
言われてみれば当たり前のことなのですが、忙しいとふと忘れてしまいそうになることです。
そうやって仕事を進めた方が意外と早く仕事が進んだり、何より楽しかったものです。
こっそり仕掛けた工夫が、あの子やあの子やあの子のちょっとしたためになるかも。
学校の先生として「仕事を追いかける」とはこういうことかと教わった気がします。
今回のガーナ人先生は、やらされた感を全く出さずに「追いかけて」くれました。
そんな先生たちに感謝をしつつも、ちょっぴりうらやましくもなりました。
九九の定着率が上がったということで、手立ての妥当性も悪くはなかったのでしょう。
ただ、この「手立ての妥当性」はもう少し科学的に考えなくちゃ、です。
たとえば、フラッシュカード。
なじみのある手立てに対しても(こそ)、こういうクリティカルな見方は大事です。
「英語教育2.0 - my home, anfieldroad - 」
(ちなみにこの方のブログ、とっても面白いです。英語の先生にオススメ)
論文レベルの知識も押さえつつ、たとえばこのブログにも書かれている
「一人のできる子につられて、できない子もできるように見えちゃう」というような
実践レベルの課題も忘れずに、しかもすぐに改善できるなら改善するという姿勢も大事です。
百点満点の方法なんてないし、「成功である」と簡単に言い切りたくないぞということです。
実践記録や数字、謝辞でもって報告することも大事なのですが、
それだけでは片付かない気持ちの整理もしようと思いました。
2 件のコメント:
ご紹介いただきありがとうございます。遠くガーナの地でも読んでくださっている方がいらっしゃると知ってびっくりしました。ただいま研修中なので、これまで当たり前と思ってやっていたことも、改めて考えてみることが大切だなと、日々感じています。
anfieldroadさん!
ご本人からコメントをいただけるとは、ファンとして恐縮しきりです。
授業の手立ての豊かさ、真摯な研究心、ことばを大事に扱う姿、ちょっとした遊び心…
密かに憧れております。
これからも楽しく読ませていただきます!
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