2012年1月31日火曜日

自分が伝えるべきだったのはその向こう側



最近の活動のことも書いてみます。

郡内10サーキットあるうちの8つは網羅しようと、巡回授業を細々と続けています。

本当はすべての学校に行きたいのですが、なかなか難しいようです。



そんな中、先日行った学校の先生から電話をもらい、

「キミのやった授業をオレも真似してやってみるから、見に来てくれ」と。


奇跡のような電話でしたが、まあ冗談も入ってるかなとも若干思い

だまされたつもりでその時間に行ってみましたが、あらまー!



これはストロー多面体じゃないの! 自分でも作ってみたんすね!



ストロー多面体により、子どもたちは自分の手で立体を確かめることができた。

しかし、骨組みしかないので面を数える時にとまどう子もいたように思う。

そこで、今回は紙で作った模型も用意して、低学年に教えてみたいんだ。


とのことでした。


こんな風に授業を批評してくれてたなんて、そしてそれを基に自分で追実践してくれたなんて、

教師の鏡、ここにありという感じで感無量でありました。



そういう人に出会えたという喜びの上に立って、今からのことを書きます。


教師の鏡であるこの青年教師は、用意した模型を手にひとつひとつ丁寧に説明しました。

立方体の頂点は8つである、ほら見てわかるだろ、ひとつふたつみっつ…。

面を数える時はね、こうやって慎重に数えていくんだぞ…。


そして、子どもたちは「イエッサー」のオンパレード。

自分でたしかめる機会も、これはどうなってるんだろうと考え込む機会もありませんでした。


ガーナの先生は「プラクティカルな授業」が理想であると考えているようです。

その「プラクティカル」にはいろいろな意味があるような気がするのですが、

今まで出会った「前向きな先生たち」の「プラクティカルな授業」は

「なにか黒板に掲示する物や提示する物がある(だけの)授業」を意味しているように思います。


子どもの数に対して教師の数に困っている状況がここにはあるわけですから、

「先生が話すのを黙って聞く授業」にも一理あるのでしょう、もちろん否定はしません。

「お金がないから教材ができないってことはない」のを示してくれたのもうれしかったです。


ただ、この任期で自分が伝えるべきだったのはその向こう側なのではないかということに

今回の出来事で気づかされたような気がしました。


「向こう側」というのは、授業に関するテクニカルな部分ではなく、

どうしてそのテクニックを使うに至ったかという思いです。


どうして自分はストロー多面体の材料をグループに配って作らせてみたんだろう。

潜望鏡や分光器で遊ばせて、子どもたちをどうしたかったんだろう。

回路のつなぎ方を教えずに何度も挑戦させたのはなぜ、最初に答えを教えてもよかったのに。


ある手立てを採用した理由は、自分の胸に聞けば必ずあるはずです。

それは「こんな子どもに育てたい」という言葉に集約されそうなものです。


個人的には、Q&AのAを自分で見つけることができる人になってほしいと思っているし、

もっと言えば、Q&AのQを自分で作ることができる人になってほしいと思っています。


協力隊の生活もそうだし、これを読んでいる皆さんの生活もきっとそうなのでしょうが、

Q&AのAなんて誰も教えちゃくれないし、

Q&AのQだって、ボーっとしていれば見過ごしてしまいそうです。

Aを無理に見つけなくたって、Q&Q&Q&Q&…と問い続けることも素晴らしい気がします。


だから、疑問の余地のない答えを分かりやすく差し出すよりも(もちろんこれも大事だけど)、

「なんで?」からいっしょに見つけるように工夫してみたい。

そういう思いがあったから、これまでの手立てを採用して授業に取り組んできたのだと思います。


このおよそ2年間、授業のテクニカルな葉っぱをたくさん増やそうとしてみたつもりでしたが、

どんな根っこがその葉っぱを増やしているかまでは伝えていませんでした。

一番そこを伝えなきゃいけなかったのに、甘かったなと反省しています。



うれしかったんだけど何かモヤモヤする、そんな気持ちを抱えていましたが

ひとまずここまで言葉にすることができたような気がします。


人の授業から学ぶ時は、葉っぱだけじゃなくて根っこに目を向けろ。

でないと、せっかく集めた葉っぱも枯れてしまうぞ。


これはそのまま今後の自分にも言えます。

2 件のコメント:

とし さんのコメント...

どうも~。じゅんさん。すごくわかる~。フィリピンも同じ感じなんです。なもんで,いつものBAGONG RULEを先生たちに約2年間伝えてきました。
先日は私の任地の側にあるでかい大学の教育学部でホンマさん,タキさんとワークショップやってきたんですが,これまでの蓄積の中で”その向こう側”と”もっともっと手前”の部分に焦点をしぼって参加した大学生に話をしてきました。今になって,あれも伝えられれば,これを伝えられればって思うことも山のようにあるんですが,そうやっていろいろ伝えたいって考えられるようになっただけでも自分にとっては+なのかなと思ってます。最近。残り約1ヶ月ですね。ラストスパートがんばりましょう。

Kofi Jun さんのコメント...

としさん!
いやー、サムライの勇姿にいつも元気をもらってます。
そうそう、「向こう側」も「もっともっと手前」も両方大事なんですよね。
恥ずかしながら自分、今までこんな風に考えたこともなかった気がします。
「ガーナ人に何を伝えたいか」は、そのまま「自分はどんな授業をしたいのか」という問いになるのではと。
なので、今になってあれもこれもと思い浮かぶのですが、とにかく勉強になってます。
東京で不健康に飲みながら、フィリピンの話も聞かせてくださいね。ホンマさんにテツさんにコータくんに…ああ楽しみ。
ところで、この前の「えるぽん」、あれには自分も反対の一票っす。
テレビからの発話を聞いても、赤ちゃんは言語を習得しないという実験があったようです。
そりゃ、何をしててもほめも怒りもしないテレビの中の先生には、限界がありますよね。